ようこそ、三十路の沼へ

 

先日友人が30歳の誕生日を迎えた。

もうすぐ31になる身としては、ただただ両手を広げ、薄ら笑いを浮かべ、よく来たなあ、と言いたい。

 

彼女は前職の同僚で、よくランチに行ったし、飲みにも行った。だが話す内容は大概決まっている。

 

脱毛、整形。

 

たまに真面目な話をしたような気もするが、人の記憶というものは曖昧で儚い。実際それ以外のことはあんまり覚えてない。

彼女が起点となり、職場に全身脱毛というパワーワードが走り、ネズミ講のようにバズったのは記憶に新しい。

 

出会ってから順当に月日を重ね、私の後を追って彼女は三十路になった。

絶叫にも近い賛辞をフェイスブック経由で彼女に送り、私はニタニタ笑っていた。我ながら気持ち悪いとは思うが、単純に仲間が増えて嬉しかったのだ。

そして声高にザマアミロとラインしてやった。

 

だって楽しいもの

 かつて私も29歳最後の日は切羽詰まったような気持ちでいた。彼女もそうだったのかは分からないが、とにかく、30になるということは何かしら大きな意味があるのではと思っていたのだ。

 

だが、なってみればなんてことはない。たった30年生き抜いただけなのだ。

純粋に男女問わず祝福し、そして賞賛すべき日だと思う。

 

先述の通り、私は一足先にジャスト30に突入し、30代ロードを闊歩している。

それも20代で身につけた知恵や知識や自身を携えているので、一層タチが悪い。そして、それこそがこれから続く人生の面白さなのだろうとも思う。

だから私は今が一番楽しいと言い切れる。

 

三十路クライシスなんてまっぴらごめんだ、誇れ!前を向け!そして人生を楽しむがいい!

 

 

 そしてバカみたいにいつまでも笑ってたい

彼女の誕生日の3日後、彼女と他何人かで恵比寿のKintanで焼肉をつついた。

 

だが、話すことは決まっている。

首から下の毛抹殺計画について、だ。

 

私たちは、あんなオシャレな恵比寿の店で、手を叩き大笑いしながら、毛の話しをする。

それぞれが仕事に悩み、苦しみながらも、いつだってオンナを悩ませるのはなのだ。

 

なんと愉快なことだろうか。

私は涙目になりながら、彼女たちの笑い声を聞いた。

 

三十路の没落がまことしやかにささやかれ、呪いのように20代の女心を蝕む呪縛も、キャリアの壁も、私たちにとっては瑣末な出来事に過ぎない。

 

彼女がもたらすのは、光であり、闇でもある。

 

苦しみもがきながら、それを笑い飛ばす知恵を持って迎えた30代を、彼女が心の底から楽しめる日々である事を願わずにはいられない。

 

はやく全身脱毛が完了し、肌比べ対決をしたいものである。